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金曜大井が取り止め(順延)なので雑記でも

金曜大井が台風で順延です

木曜は3打数1安打でやや負け。去勢されたキトンが思った以上にいい馬になって帰ってきた。最終はグンジンあたりがもうちょっと前に絡んでくれると思ったんだけどな。

さて、関東地方に台風が接近中。それを受けて金曜の大井競馬は早々に取り止め(というか土曜への順延)が発表された。まあ英断。英断オブライエンですね。

出馬表変更なしの順延なら予想しておいてもいいんだけど、最近このブログが「ただ予想を毎日するだけ」になっているのを憂いている。たまには雑記というか近況報告でも書いておこうかと思いました。

オチのない、取るに足らない話の詰め合わせなので、興味のない方はまた土曜中央予想でお会いしましょう。それでは。

栄冠ナインとスーパーサブ

パワプロ2024を買った。

わたしが人生で初めてプレイしたゲームは父親が持っていた「実況パワフルプロ野球’99決定版」だったと思うし、2番目が「ダービースタリオン99」だと記憶している。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、あれから25年、こういう仕上がりの男になりました。

パワプロにはいくつかモードが搭載されているが、その中でも人気なのが「栄冠ナイン」。高校野球の監督になって全国制覇を目指すゲームで、これが実に面白く、そして中毒性がある。入部してくる各選手をどう育成してどう戦うか。気付けば「次の大会までやる!」と時間を奪われているから困ったものである。

部員数が増えてくると、入部時の能力やポジションの兼ね合いで「この子は3年になってもレギュラーになれないなあ」という選手が出てくる。そういう選手をただ補欠で腐らせるのではなく、「代打の切り札」や往年の鈴木尚広のような「走塁のスペシャリスト」といった“スーパーサブ”として育成するのが個人的な楽しみ方だ。

入部から2年3ヶ月ずっと走塁練習だけさせてきた子が大事な試合で代走出場から盗塁を決めて得点したり、代打の切り札が(「魔物」という特殊能力を使って)戦局を一気に変えてくれたりすると監督冥利に尽きる。

翻って現実。生まれ持って豊富な才能を持ち、環境にも恵まれた人間に対し、わたしのような凡人が生きる道は「何かに特化すること」にある。時にはオールBの選手より、走力だけSの選手や、「魔物」を持った代打要員が重宝される場面もあるのだ。

今日もコツコツ、スーパーサブを目指して邁進していこう。

米澤穂信作品にハマる

マンガやアニメ、小説の類を論評できるほどの審美眼は備えていない自負がある。

もちろん「面白い作品」や「好きな作品」の数々に出会ってはきたが、それが「なぜ」または「どう」好きなのか説明しろと言われると答えに詰まる。「なんとなく面白い」「なんとなく好き」くらいの適当な感受性で生きてきた。

大学時代の先輩のオススメで、ミステリ作家の米澤穂信先生の作品を2年くらい前からちょくちょく読み始めた。昨年フリーランスになってからさすがに可処分時間が増え、さて本でも読むかという機運になり、このところは同先生の著作にあれこれ手を出している。

端的に言うと、どハマりした。

『満願』から入り、『儚い羊たちの祝宴』『王とサーカス』『真実の10メートル手前』、〈古典部〉シリーズ、『さよなら妖精』『インシテミル』(色々順番がおかしい)と進んできた。〈小市民〉のアニメ放送に伴ってAbemaで期間限定公開されていた『氷菓』のアニメも24話一気見した。とてもよかった。ニート……じゃないや、フリーランスの自由な部分を謳歌している。「日常の謎」から人が死ぬミステリ、高校生の青春、ブラックユーモア……変幻自在な作風でどれも素晴らしかった。

しかし先に書いた通り「なぜ」「どう」面白くてハマったのかを言語化できない。必要な技術がわたしにはない。何か伝えたいことがあるわけでもないので、この章のオトし方が分からなくて困りました。

まあその……、これは単なる近況報告ということで。

「沈黙は金」じゃないでしょ

どうもフワちゃんです。ウソです。

今日も日が沈み、明日はまた日が昇る。それと全く同じように、昨日もSNSではどこかの誰かが舌禍炎上し、いずれほとぼりが冷め、明日はまた新しい誰かが炎上する。

そのことを嘆くつもりも糾弾するつもりもなく、ハッキリ言ってしまえば「興味がない」という結論なのだが、そんなことより気になる言説があったので、イチャモンでもつけておこうという魂胆でキーボードを叩いている。

舌禍事件に「沈黙は金」という言葉を使うのはおかしい。

フワ氏(「ちゃん」付けも呼び捨てもおかしいよな?)の件でいえば、脈絡のない「死んでくださーい」という中傷が社会通念上、到底許されないのであって、そのケースから「まあ人間、余計なこと言わずに黙っていた方がいいよね~」と一般的な教訓を抽出するのは、あまりにも怠惰ではなかろうか。「余計なこと」を言ったから問題なのではなく「許されない中傷」をしたことがいけない。そこを履き違えてはならない。

「沈黙」はどこまでいってもプラスマイナスゼロにすぎないし、SNSが数多の社会的・ビジネス的チャンスに直結する現代において、「雄弁」こそ金であるケースの方が圧倒的に多い。成功している多くの「雄弁」を見ずして、「沈黙」の美徳を語ることは、交通事故をひとつ見て「車なんか乗らない方がいいね」と結論付けるがごとき暴論と思うが、いかがだろう?

わたしは職業が特殊だから視点に偏りはあるだろうが、もっと努めて雄弁にならなければいけないと思う。「沈黙が金」ではない。しかし同時に「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」とは心がけている。

アルリファーと贔屓

申し訳程度に競馬の話を。

先日ブレイキングニュースが入ってきた。アイルランドのGⅠ馬アルリファーに凱旋門賞で武豊騎手が騎乗するというものだ。立役者はやはりキーファーズ。いやあ、めでたいですね。

……と思う人ばかりでもないのが世の中である。

「主戦を務めてきたマクモナグル騎手からお手馬を強奪するなんて醜悪だ!」という意見が出て、X上でプチ炎上というか、論争というか。そんな感じになっていた。

まあ、美醜どうこうは「それってあなたの感想」でしかない。そんなの知ったことではなく、自由に決められるのが馬主の権限だ。外部がとやかく言ったところで変わらない。誰が何と言おうと、オーナーが自分のやりたいようにやる。それが全てだ。

でも個人的な好き嫌いはあって当然だ。わたしが競馬を始めた2012年から数年間はGⅠで有力馬が岩田騎手や短期免許の騎手に乗り替わるのが日常茶飯事で、それが随分叩かれたりしていた。主戦騎手がずっと乗ってほしい、ポッと出の外国人に持っていかれたら面白くない、という感覚は(差別主義でもなく)まあ理解できる。その感覚からすると、アルリファーの乗り替わりも嫌いな人はいるだろう。

この話はどこまで行っても「好き嫌い」の問題でしかない。他方を論破して意見を曲げさせるものでもないし、どちらかにだけ正義があるわけでもない。決着をつけようとすること自体が不毛である。

所詮、我々は審判でもなければ裁判官でもない。それなのに、人は「正論」の幻想に囚われすぎなのではないか。全てのいさかいに「正しく筋道が通ってる(っぽい)ことを言った方が勝ち」というシステムでカタを付けようとしているのではないか。それは論理の過大評価だろう。

わたしは(自分がするかは別として)、武騎手から短期免許騎手への乗り替わりを批判したその口で、外国人騎手から武騎手への乗り替わりを祝福していいと思っている。理由は「武さんを応援しているから」でいいじゃないか。ダブルスタンダードも贔屓も、果たして世間で言われるほど悪いことだろうか? 「公平」の重要さは分野により相対的である、と思う。

最後にこの件とは離れて、乗り替わり一般に対する個人的な「好き嫌い」を書いて締めよう。わたしは多くの乗り替わりに対しておおむね肯定派で、誰が乗ってきたかどうかは問わず「最善手」を尽くしてくる陣営に美しさを感じる。キタサンミカヅキの主戦を森さんにスイッチしたサトケン厩舎とか、当時はかなり痺れたものですよ。

鈴木ユウヤ

東大卒競馬ライター。中央競馬、南関東競馬を中心に情報発信している。最近は単複。いつでもひと握りの遊び心を。

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鈴木ユウヤ