※過去、別の名義でアメブロに書いていた文章の移植版です
イタリアンカラーという馬がいた。
デビューは1990年。3戦2勝でスプリングSに駒を進め3着。青葉賞5着ののち、1年の休養を挟んで条件戦から再始動。湯川特別、函館日刊スポーツ杯、オクトーバーS、白秋Sを4連勝。横山典弘騎手とのコンビで目黒記念3着、日経賞2着の成績を残し、生涯16戦6勝で現役を終えている。
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馬ばかり追いかけているこのドラ息子を育てた私の母は、まったくもって競馬というものに頓着がない。父は競馬好きで、私の“ブルードメアサイアー”にあたる、母の父も週末になれば隣駅のWINS立川まで歩いては馬券を買う習慣があるのだが、どこ吹く風、母は週末にテレビを占領されている最中、そしらぬ顔で雑誌のクロスワードパズルを解いていた。
そんな母に、ひょんな会話の流れから「知っている馬」を聞くと真っ先に名前が挙がるのが、この「イタリアンカラー」という馬だった。話によるとどうやら父と競馬場に行ったときに走っていた馬ということらしい。馬券をとったから覚えている、と言うので、母の記憶がメインレースだとすればおそらく1993年の日経賞だろう。なるほど、断然の1番人気だったライスシャワーとの馬連が1220円ついている。
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昨年、父がガンで亡くなった。90年代はかなり競馬に入れ込んでいた人のようで、寝室にはグラスワンダーの写真パネルが飾られていた。「有馬記念はその年の負けが取り戻るように買うんだぞ」と誇らしげで、今思えば、息子にロクでもないことを吹き込んだものである。そのパネルに映るのはグラスワンダーと、メジロブライト。1998年の有馬記念、骨折休養明けから「伝説の」毎日王冠、そしてアルゼンチン共和国杯を連敗して迎えたグラスワンダーは単勝4番人気、配当は1450円。馬連でも4430円ついていて、これで年間プラスの逆転ホームランを打って、嬉しさのあまりに写真パネルを注文したのだと推察される。
成人してから父と競馬場に行ったのは、片手で足りるほどの回数だった。普段なら車を運転する父だが、競馬場で酒を飲むために、府中まではバスと電車を乗り継いでいくことになる。競馬場につくと父はダート戦のたびにクロフネ産駒にマーカーをひいて、「東京のダートはクロフネの子ども、それもなるべく白い馬が走るよ」というのである。クロフネの武蔵野Sを現地の、ゴール前で見ていた縁を感じているとかで、「お前もあのレースを見ていたんだぞ」と何度も聞かされた。物心の付く前で、とんと記憶にないのが惜しまれる。
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競馬に精通していたことでも知られる寺山修司氏の、「競馬場で逢おう」という本を図書館で借りてきた。「スシ屋の政」や「桃ちゃん」らが登場する独特の筆致で書き描かれた、氏の競馬予想をまとめたその本には、井崎脩五郎氏のあとがきがついている。「ブンゾンハナ」という馬に自分と、死別した母を重ねる男の話なのだが、これが名文である。少なくとも、読んだ翌日の私にこうして筆を動かす衝動を抱かせるくらいには。
その末に「人それぞれに、それぞれの競馬があるということなのだろう。それを一番よく知っていたのが、寺山修司さんだと、僕は思っている。」とあった。人それぞれの競馬。これが私の両親にとっては、イタリアンカラーであり、グラスワンダーであり、クロフネ産駒の白い馬、なのだろう。
本人は興味がないまでも、自分の父親と夫が毎週欠かさず競馬をやり、TV中継が流れる環境にいた母は、きっとオグリキャップやディープインパクトだって知っているはずだ。それでも、母にとっての「競馬」は若き日の父と見た、そのイタリアンカラーなのだ。
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クロフネの仔、白毛馬のソダシがフェブラリーSに登録するらしい。もし父が生きていたらきっと本命を打つのだろう。「芝馬だよ、しかも過剰人気で、買うだけお金がもったいない。」私はこう言っただろう。
でも今回だけは、私はフェブラリーSでソダシの馬券をめいっぱい買って、墓前に供えてやろうと思っている。