インプレッションの悪魔と、競馬予想という業(カルマ)

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インプレッション、ページビュー、再生数……。

インターネット広告の隆盛に伴い、現代は「たくさん見られることが金銭に化ける」という時代になった。

むろんこの構造がなければわたしのような雑魚Webライターには存在意義がないわけだから、感謝しなければならない。構造に生かされている。

しかし今のX(あえてTwitterとは書かない)の状況を見ていると、なにかとてつもなく大きな間違いが起きているとしか思えないのだ。バズった投稿にはインプレッション(閲覧数)稼ぎの無意味なリプライが付く。誰にも、何の価値も提供していないのに金銭が発生する。経済の原理原則に反しているのだから、ひずみがいつかやってくるだろう。

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先週、訃報が届いた。あまりにも悲しい知らせだ。

残念ながら訃報にもゾンビは湧く。無意味なリプライが付く。日本語の意味も読めていない人間(botか?)がどこからかコピペしてきただけの文を貼り付ける。

いや、無意味だったらまだいい。支離滅裂な中に、あまつさえ「それはいい知らせだ」といった文が混じったりする。画面の向こうにいる異国の人間に「お前が送った文はこういう意味だぞ」と懇切丁寧に説明して最後に一発ぶん殴ってやりたい、と思うのはわたしだけではないはずだ。言葉をナメないでほしい。

もう少しライトな話題に変えよう。先日、アメリカ球界から日本復帰を目指す筒香嘉智選手の読売ジャイアンツ入団が決定的になった、という報道がS社から流れた。どこよりも早い独占的な報道で、Yahooニュースでは1000件以上のコメントがついていたように記憶している。

そして今日、「筒香選手が古巣の横浜DeNAベイスターズ復帰を決断」というニュースが各社から出た。当該の「読売決定的報道」をしたS社もしれっと報じている。

一度事実に反することを書き、そして広めた彼らの元には果たしてどのくらいの広告収入が入ったのか。想像するだに反吐が出る。おそらく返金の義務などもない。単なる誤報、ウソ、出鱈目、フェイク……そんなものが実態をごまかす「飛ばし」という言葉でまかり通る。実に馬鹿げた話だ。

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インプレッションが金銭に化ける構造の不具合を強く感じながら、しかしわたしはその構造の中で生きるというイビツな場所にいる。

このブログだってGoogleの審査さえ下りれば先々広告を付けたいし、Youtubeも収益化するために動画を作っている。フリーランスとして不安定に生きる以上、現実の要請には抗えない。ダブルスタンダードと言われても仕方がない。だからこそ、せめてインプレッションの「取り方」にだけは強くこだわる。それがこの構造に生きる人間としての責務だと思う。

ところが「競馬予想」というのは業が深い。

いかに真摯に取り組み、自身の最善を尽くそうとも、それが読者・視聴者の価値に資する保証はどこにもない。時には全く役に立たないどころか、足を引っ張ってしまう可能性すらある。わたしもこれまでにたくさんの見当違いを発信してきた。その業から目を背けることはできない。

と同時に、世間一般のファンからすると競馬はあくまで趣味でありエンターテインメントだ。「フィクションと分かる楽しいフィクション」は読み物として受け入れられる下地がある。そもそも物語や小説がそういうものだし、競馬に関しても寺山修司氏が拓き、井崎先生がつないできた道だ。

昔、netkeibaで故・かしわでちょうほう氏が書いていた「根多のデットーリ」という連載が大好きだった。フランクな口調と独特の造語(「ピザ」とか「非情のライセンス」とか)を用いた予想コラムは、しかして真剣な予想と言えるものだったかは今振り返ると疑問だが、更新が毎週楽しみで仕方なかった。いま、この道をつなぐ書き手が界隈にいるだろうか?

業の深い行為に生きるからこそ、せめてファクトに基づき最善を尽くした考察を書く。

業の深い行為に生きるからこそ、せめて面白おかしく娯楽性を持った考察を書く。

一見して相反する二つの答えだが、その両立は具現化できると思う。それこそが、わたしの目指すべき「競馬ライター」の理想像だ。

そんなことを考えて、福島競馬場観戦記の執筆が滞っている火曜の昼下がりでした。

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